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KANO ~1931海の向こうの甲子園~ [映画【か行】]

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台湾映画です。

タイトルの「カノ」っていうのは大日本帝国統治時代下甲子園に台湾代表で出場した嘉義農林学校(現在の国立嘉義大学)の略称「嘉農」の日本語読み。
ユニホームの胸に書かれてる「KANO」の事です。

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台湾映画ですがほとんどが日本語で、主演の野球部監督に永瀬正敏、その妻は坂井真紀、昭和5年に竣工した台湾最大規模の農水施設の嘉南大圳(かなんたいしゅう)建設の水利技術者八田与一として大沢たかおも出演してますし台湾映画と観ているという感じがありません。

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ストーリーは…
1929年、のんびりとした嘉義農林学校・野球部は1勝も出来ないチームでしたが、新任監督に日本人の近藤兵太郎を迎えて徹底的な甲子園出場の夢を植え付けられ夢を現実にするために頑張っていくことになります。

当時の甲子園出場校枠は台湾全島で1校のみ。
甲子園を目指すには台湾大会で優勝しなければなりません。
日本人だけで構成された野球部しか出場校じゃなかった時代に、近藤監督は守備に長けた日本人、打撃に長けた台湾人(台湾で生まれ育った漢人)、韋駄天の如く足の速い高砂族(台湾の先住民族)の選手という混合民族チームでその厚い壁に挑みます。

そして1931年(昭和6年)に台湾南部の学校として初めての台湾代表校として甲子園に出場。
キャプテンで4番・ピッチャーの呉 明捷・ご めいしょう(=曹佑寧)の活躍を中心に初出場にして夏の甲子園大会決勝戦までたどり着くのです。

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実話に少しフィクションを混ぜてます、みたいな字幕が最初に出てきます。
それは大沢たかおが野球部員を励ますシーンなのか…(野球自体にはほとんど関係なしです)。
野球部の練習場に永瀬正敏が風呂桶片手にふらりと現れ飛んできたボールをハッシと掴み、実は彼が鬼監督だったというスポ根お決まりの登場なのか。
それとも甲子園の対戦校だった札幌商業高校の野球部主将でピッチャーの錠者博美(青木健)のサイドストーリーなのか。

錠者博美のお話は最初と甲子園での対戦と彼が嘉義農林学校野球部のグランドを訪ねるラスト。
嘉義農林学校の「優勝だけが自分たち目指す野球じゃない」って姿に感動させられる一人として語られています。

台湾人俳優が話す日本語がわかり難いので字幕があればいいのにとも思いましたがそれにしてもとても親日的な映画でちょっとびっくり。
鑑賞後は相手を思いやる気持ちが湧いてくる素敵な映画だと思いました。 ★★★★

台湾映画最大規模の製作費がかけられたそうで、台湾では公開後60日で3億台湾ドル(約10億円)を超える大ヒットを記録したそうです。

監督:マー・ジーシアン


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コメント 7

のらん

甲子園に、台湾のチームが出場していたことがあったんですね!!!
つまり、当時は、そんなに多くの日本人が台湾にいたってことか〜
でも、このチームは、台湾の青年たちもメンバーだったのに出場を果たした、っていう部分は実話なんですよね?
そこが、あっぱれ(^.^) 当時の高野連も含めて・・・
by のらん (2015-02-15 16:22) 

キキ

non_0101さん、こんにちは。
niceをありがとうございます。
by キキ (2015-02-15 19:04) 

キキ

coco030705さん、こんにちは。
niceをありがとうございます。
by キキ (2015-02-15 19:05) 

キキ

のらんさん、こんにちは。
台湾も日本でしたから台湾代表校として海を越えて出場していました。
この映画の投手でキャプテンの呉 明捷はその後早稲田大学に進学して活躍後、社会人野球になっていたり、他のメンバーのその後もエンドロールで流れていました。
活躍を憶えている方もいらっしゃるかもしれません。
この映画のエンドロールには王貞治氏の名前も栄誉顧問で流れていました。
by キキ (2015-02-15 19:16) 

キキ

月夜のうずのしゅげさん、こんにちは。
niceをありがとうございます。
by キキ (2015-02-15 19:17) 

キキ

ネオ・アッキーさん、こんにちは。
niceをありがとうございます。
by キキ (2015-02-22 19:36) 

キキ

くらいふさん、こんにちは。
niceをありがとうございます。
by キキ (2015-02-25 20:59) 

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